思った、考えた

普段考えてみたこと(主に結論ついたこと)をアウトプットするね。

生きる意味、寂しい理由についての現時点での結論が出た。

結論

わからない。わかるわけが無い。

そういうものだ。

 

理由

世の中解明されていないことばかりだから。

わかる方がやばいと思う。

科学だって人間のこじつけの上に成り立っているんだと思う。

これがないと生きていけない、なんてものがある人は、依存症か視野が狭いのか嘘つき。(物事のとらえかたが私と違うだけなので、バカにしている訳では無い。)

 

人間が作り出したものは分かる。

人間を作り出したものは分からない。

遺伝という言葉に惑わされることがあるが、かと言って自分の寂しい理由を親がわかるわけが無い。

 

世の中を100とする。世の中について何を知っているかと問われれば

私の分かることは、そのなかの0.00000001くらい

羽川翼のわかることは、そのなかの0.0000001くらい

Google先生の分かることは、そのなかの0.000001くらい

それ以外は全部わからない

 

考えたきっかけ

昨夜から今朝にかけて、とてつもなく寂しかった。昨夜は寂しい理由を考えて寝れない恐れがあったが無理やり寝た。今朝も寂しい理由を考えた。最近起きた悲しいきっかけが原因なのかなと思った。だけどそうじゃない。その出来事が起きた時に、寂しい感情が出る、という自分が原因なのだと思う。

(何故他人が原因ではなく自分が原因だと思ったのか、その理由は以前に何度も同じような状況に出くわしているからだ。)

じゃ、なぜ寂しい感情が出る?と考えてみたことがきっかけ。

もしかしたら寂しい感情ホルモンみたいなところは分かっているのかもしれないけど。

また、前々から悩んで答えが出ずウヤムヤにしていた、生きている意味についても合わせて考えてみた。

 

まとめ

人(もしかしたら自分だけ)は、生じた疑問、問題、悩みに対して何かしらの答えを見出さないと、スッキリしない、次の行動が出来ないんだと思う。その状態が続いて生活に支障が出る状態が心の病、鬱なんじゃないのかなー。

子供の頃は頭をあまり使わず行動することが多かったので、悩むことはほぼなかった。でもいじめられた時は、その原因をウンウン悩んだ。大人になると色んなことを考えなければいけず、悩むことが多くなった。

悩んでいてもしょうがない、と昔よく親に言われたものだが、それは親の考えた答えであり、自分の答えではない。

今回私は、長年悩ましてきた2つの問いについて、「わからない」という答えを出した。個人的にこの答えはとてもしっくりきている。

私は、「わからない」ということが「わかった」。

考えることを「しょうがない」と諦めた訳では無い。これは答えだ。